- 憲法―7.社会権
- 1.生存権
- 生存権
- Sec.1
1生存権
社会権は、20世紀の社会国家の理念に基づき、とくに社会的・経済的弱者を保護し実質的平等を実現するために保障されるに至った人権である。旧憲法には社会権規定はなく、生存のための諸種の配慮は専ら行政施策に委ねられていたが、日本国憲法は、社会権として、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働基本権(28条)を保障している。社会権は、国家に対して一定の行為を要求する権利(作為請求権)であり、この点で、国家の介入の排除を目的とする権利(不作為請求権)である自由権とは性質が異なる。もっとも、社会権も、自由権としての側面をあわせもっており、公権力による不当な侵害があった場合には、その排除(不作為)を裁判所に請求できる。
生存権の法的性格についての議論は難解だが、すべてを理解しなくても点は取れる。行政書士試験における生存権の学習の基本は、判例は一応プログラム規定説を採用しているとした上で、生存権の定番判例である朝日訴訟判決・堀木訴訟判決のポイントを押さえることである。
25条1項の定める生存権の法的性格をめぐっては、憲法制定当初からさまざまな議論がなされてきた。生存権は、国民自らが健康で文化的な最低限度の生活を維持する自由を有し、国家はそれを阻害してはならないという自由権的側面と、国家に対してそのような営みの実現を求める社会権的側面を併せ持つ。自由権的側面については、法規範性・裁判規範性を認めるのが一般であるが、社会権的側面の法的性格をいかに解すべきかが問題となる。
■生存権の意義
25条1項の保障する生存権は、社会権の中で原則的な規定であり、国民が誰でも、人間的な生活を送ることができることを権利として宣言したものである。2項は、1項の趣旨を実現するために、国に生存権の具体化について努力する義務を課したものである。
■生存権の法的性格
(1) 生存権の法的性格
生存権の社会権的側面の法的性格については争いがある。
① プログラム規定説
25条は単なるプログラムであり、国民の生存を確保すべき政治的・道義的義務を国に課したにとどまり、個々の国民に対して具体的権利を保障したものではない。
この説によると、国民は、生存権を政治的要求として主張することはできるが、法的権利として主張することはできない。したがって、たとえ生存権を具体化するために制定された法律の内容が不十分であっても、裁判所は25条に基づき、これを違憲とすることはできない。
[理由]
1. 憲法は資本主義経済体制を前提とするが、資本主義は自助を原則とする。
2. 生存権の実現には予算が必要であるが、予算の配分は国の財政政策の問題であるから、社会立法の制定は国の裁量事項である。
[批判]
1. 生存権は、資本主義経済体制に起因する貧困等の弊害を解決するために保障されるに至った法的権利であると捉えられるべきである。
2. 予算も法規範と解されており、憲法に拘束されるので、予算をただちに国の裁量事項と解するのは妥当ではない。
② 抽象的権利説(通説)
国民は直接25条を根拠として具体的請求権を主張することはできず、生存権は法律によってはじめて具体的な権利となるが、国民は25条によって人間に値する生存を保障されるという抽象的な権利を有する。
この説によると、国民は直接25条を根拠に裁判所に救済を求めることはできないが、生存権を具体化する法律が制定され、その内容が不十分である場合には、その法律が25条に違反し、無効であると主張できる。
[理由]
1. 25条の内容は抽象的であり、それのみでは裁判の基準になりえない。
2. 権利の実現のためには、立法府による政策的・専門的判断が必要である。
[批判]
立法がなされない限り、生存権侵害を放置せざるを得ず、妥当でない。
③ 具体的権利説
国民は、25条を根拠に、具体的請求権を主張することができる。
この説によると、法律が存在する場合に、25条を直接の根拠としてその法律が違憲であると主張できるのはもちろんのこと、国民が救済を必要としている状態にありながら生存権を具体化する法律が制定されない場合には、25条を直接の根拠として、裁判所に立法不作為の違憲確認訴訟を提起できる。
[理由]
25条の権利内容は、憲法上行政権を拘束するほどには明確ではないが、立法府を拘束するほどには明確である。
[批判]
1. 生存権の実現には国の立法措置を要するので、これを具体的権利として裁判所に救済を求めることは裁判所に立法作用を認めることになり、権力分立構造に反する。
2. 裁判所の資料収集能力には限界があり、専門的・技術的判断が要請される生存権の実現に裁判所が第一次的役割を営むことは必ずしも適切でない場合がある。
④ 判例
朝日訴訟判決、堀木訴訟判決は、基本的には『プログラム規定説』を採ると解されている。
判例 | 朝日訴訟(最大判S42.5.24) |
昭和31年当時の生活扶助月額600円が健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りるかどうかが争われた事件。 |
《争点》 | 1. 憲法25条の法的性格
2. 生活保護基準の限界 |
《判旨》 | (上告中に朝日氏が死亡したため、生活保護受給権は一身専属的な権利であり、相続の対象となりえないことから、死亡により訴訟は終了した、と判示した。その上で、「なお、念のため」として、次のように判示した)
(争点1) 憲法25条1項は、全て国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的な権利を賦与したものではない。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によって、はじめて与えられているというべきである。 (争点2) もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法8条2項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴って向上するのはもとより、多数の不確定的要素を総合考慮してはじめて決定できるものである。したがって、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、一応厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法及び生活保障法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界を超えた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることを免れない。 |
《POINT》
1. 生活保護法に基づき生活保護を受けることは、反射的利益ではなく法的権利である。また、この権利は一身専属の権利であって、相続の対象となり得ない。
2. 25条1項は、国政の目標・方針を宣言したにとどまり、国民に具体的権利を賦与したものではない。 3. 生活保護法に基づく生活保護基準の設定は、厚生大臣の合目的的裁量に属し、政治責任を問われることはあっても、直ちに違法の問題は生じない。 4. しかし、法律によって与えられた裁量権の限界を逸脱、または濫用した場合には、司法審査の対象となる。 |
判例 | 堀木訴訟(最大判S57.7.7) |
全盲で障害福祉年金を受給していた女性が、離婚し母子家庭となったため児童扶養手当の支給を請求したところ併給禁止規定に当たるとして拒否された事件。 |
《争点》 | 併給制限規定は憲法25条に反し、違憲か? |
《判旨》 | 憲法25条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。しかも、右規定にいう『健康で文化的な最低限度の生活』なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがって、憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。
児童扶養手当は、受給者に対する所得保障である点において、前記母子福祉年金ひいては国民年金法所定の国民年金(公的年金)一般、したがってその一種である障害福祉年金と基本的に同一の性格を有するもの、と見るのがむしろ自然である。そして、一般に、社会保障法制上、同一人に同一の性格を有する2以上の公的年金が支給されることとなるべき、いわゆる複数事故において、そのそれぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであっても、事故が2以上重なったからといって稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加するといえないことは明らかである。このような場合について、社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、さきに述べたところにより、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。また、この種の立法における給付額の決定も、立法政策上の裁量事項であり、それが低額であるからといって当然に憲法25条違反に結びつくものということはできない。 |
《POINT》
1. 25条の規定の趣旨にこたえ具体的な立法措置を構ずる選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられているが、立法府の裁量が著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見られる場合には、裁判所の司法審査が及ぶ。
2. 公的年金相互間の併給調整を行うかどうかは立法政策上の裁量事項であり、給付額が低額であるからといって、当然に25条違反になるわけではない。 3. 障害福祉年金と児童扶養手当との併給禁止規定によって、受給者間に差別が生じても、不合理な差別とは言えず、14条に反しない。 |
cf. 純粋なプログラム規定説によれば、25条の裁判規範性は否定されることになるが、判例は、立法裁量権の著しい逸脱があれば司法審査の可能性を認め、一定の場合には裁判規範性を認めている点で、純粋なプログラム規定説ではなく、むしろ抽象的権利説に近いとする見解もある。しかし、広範な立法裁量を認めているので、実質的にはプログラム規定説と変わらないという指摘もなされている。
法規範性 | 裁判規範性 | 立法裁量 | ||
法律なし | 法律あり | |||
プログラム規定説 | × | × | × | 非常に広範 |
抽象的権利説 | ○ | × | ○ | ある程度はあり |
具体的権利説 | ○ | 立法不作為の違憲訴訟 | ○ | 非常に狭い |
※ いずれの見解も、法律が制定されていない場合に、25条に基づいて直接具体的給付を求めることはできないとする点で共通している。
(2) 25条1項と2項の関係
25条1項と2項の関係をどう捉えるかについては争いがあるが、1項2項一体説が判例・通説である。この説によると、1項は生存権保障の目的あるいは理念を、2項はその目的・理念の実現に努カすべき国の責務を定めたものであり、一体的に捉えられる。
cf. 1項2項分離説
堀木訴訟控訴審判決(大阪高判S50.11.10)によると、2項は「国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務のあること」を定め、1項は「2項の防貧施策の実施にも拘らず、なお落ちこぼれた者に対し、国は事後的、補足的且つ個別的な救貧施策をなすべき責務を宣言したものである。