• 憲法―4.精神的自由権
  • 2.信教の自由
  • 信教の自由
  • Sec.1

1信教の自由

堀川 寿和2021/11/30 14:19

信教の自由の意義

(1) 信教の自由の意義

 信教の自由とは、特定の宗教を信じ、または一般に宗教を信じない自由をいう。旧憲法でも信教の自由は保障されていたが、その保障は極めて不十分であった。この反省を踏まえ、現行憲法は、個人の信教の自由を厚く保護するとともに、国家と宗教の分離を明確にするための規定を置いている。

 ※ 旧憲法の信教の自由は、法律の留保も伴わず、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」保障された(旧憲28)。この規定は、法律によらず、(法律より下位の法規範である)命令によって信教の自由を制限することも許されるという解釈の根拠になった。また、神社神道が、事実上国教的地位を占めていた。


(2) 『宗教』の意義

 『宗教』とは、一般的には「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏怖崇拝する心情と行為」(津地鎮祭事件第二審判決)をいう。


信教の自由の内容と限界

(1) 信教の自由の内容

 信教の自由の内容として、①内心における信仰の自由、②宗教的行為の自由、③宗教的結社の自由の3つがあげられる。

① 内心における信仰の自由

 この自由は、特定の宗教を信じる自由、すべての宗教を信じない自由、信仰を変える自由をいう。個人の内心における信仰の自由であり、思想・良心の自由(19条)の一部をなし、内心にとどまる限りは絶対的に保障される。

cf. 信仰を有する者に対してその信仰の告白を強制したり、信仰を有しない者に対して信仰を強制したりすることは許されない。

② 宗教的行為の自由

 この自由は、宗教上の儀式等(例・祭壇を設け礼拝や祈祷)を行う自由、布教宣伝を行う自由、これらを行わない自由(→20条②で重ねて保障)である。表現の自由(21条)の一部をなすもので、外部に表現されるから、一定の内在的制約に服する。

③ 宗教的結社の自由

 この自由は、信仰を同じくする者が宗教団体を設立し、活動する自由、宗教団体に加入する自由、および宗教団体に加入しない自由をいう。集会・結社の自由(21条)の一部をなすものであり、一定の内在的制約に服する。


(2) 信教の自由の限界

 内心における信仰の自由は、思想・良心の自由と同様に、絶対的に保障される。しかし、宗教は、内心の信仰にとどまらず、外部的行為を伴うのが一般的であるから、その外部的行為が他者の権利・利益や社会に具体的害悪を及ぼす場合には、権力による規制の対象となりうる。



判例加持祈祷による傷害致死事件(最大判S38.5.15)
精神病者の平癒祈願のため線香護摩による加持祈祷を行い、線香の熱による火傷と殴打による皮下出血により死にいたらしめた事件。
《争点》宗教上の行為を刑法により処罰することは信教の自由を侵害するか?
《判旨》一種の宗教行為としてなされたものであったとしても、それが他人の生命・身体等に危害を及ぼす違法な有形力の行使に当るものであり、これにより被害者を死に致したものである以上、行為が著しく反社会的なものであることは否定し得ないところであって、憲法20条1項の信教の自由の保障の限界を逸脱したものというほかはなく、これを刑法205条に該当するものとして処罰したことは、なんら憲法の右条項に反するものではない。



判例牧会活動事件(神戸簡判S50.2.20)
建造物侵入等の嫌疑を受けて逃走中の高校生を、教会に約1週間宿泊させて説得し、警察に任意出頭させた牧師が、犯人蔵匿の罪に問われた事件。
《争点》牧会活動の一環としてなされた行為は、刑法35条の正当な業務行為といえるか?
《判旨》 牧会活動が、公共の福祉による制約を受ける場合のあることはいうまでもないが、その制約が、結果的に行為の実体である内面的信仰の自由を事実上侵すおそれが多分にあるので、その制約をする場合は最大限に慎重な配慮を必要とする。
 牧会活動はその行為の性質上、これを他人に任せるということはありえない。如何なる事情があっても、一旦約束した秘密を神以外に漏らしてはならない場合もある。そうであるとすれば、本件での牧師の活動は、国民一般の法感情として社会的大局的に許容しうるものであると認めるのを相当とし、それが宗教行為の自由を明らかに逸脱したものとは到底解することができない。したがって、本件牧会活動は、全体として法秩序の理念に反するところがなく、正当な業務行為として罪とならない。



判例日曜日授業参観事件(東京地判S61.3.20)
キリスト教の教会学校に出席したため、日曜日に行われた公立小学校の授業参観に欠席した児童と両親が、指導要録への「欠席」記載処分の取消しと損害賠償を求めて争った事件。
《争点》宗教的理由により教会学校へ出席した生徒を公立学校が欠席扱いすることは、憲法20条1項の信教の自由を侵害するか?
《判旨》宗教行為に参加する児童に対して公教育の授業日の出席を免除することは、宗教上の理由によって個々の児童の授業日数に差異を生じることを容認することになって、公教育の宗教的中立性を保つ上で好ましいことではない。公教育上の特別の必要性がある授業日の振替の範囲内では、宗教教団の集会と抵触することになったとしても、法はこれを合理的根拠に基づくやむをえない制約として容認している。




判例『エホバの証人』剣道実技拒否事件(最判H8.3.8)
公立高校の学生が、宗教上の戒律に従い格闘技である剣道実技の履修を拒否し、その結果、単位認定が得られず、連続2回の原級留置(進級拒否)処分を受け、それを理由に退学処分となった事件。
《争点》1. 宗教上の信条を理由として剣道実技の代替措置をとることは憲法20条3項に違反するか?
2. 代替措置なく行われた本件処分は学校長の裁量権の範囲を超えているか?
《判旨》(争点1)
高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、他の体育種目の履修などの代替的方法も性質上可能である。
そして、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、憲法20条3項に違反するということができないことは明らかである。
また、学校が、その理由の当否を判断するため、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえない。
(争点2)
「信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置についてなんら検討することもなく、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由について勘案することなく、退学処分をした措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。

《POINT》

1. 当該学生は、信仰的核心部分と密接に関連する真摯な理由から剣道実技の履修を拒否した。
2. 原級留置・退学処分は当該学生に重大な不利益を及ぼし、これを避けるためには、その信仰上の教義に反する行動をとることを余儀なくさせるという性質のものであった。
3. 当該学生が代替措置を認めて欲しい旨申し入れたのに対して、学佼側はそれが不可能というわけでもないのに検討することもなく、この申入れを一切拒否した。
4. 学校側の処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超える違法なものである。


政教分離の原則

(1) 政教分離原則の意義

 政教分離とは、国家の非宗教牲ないし中立牲をいう。

 ※ 政教分離を財政面から裏付けているのが、「宗教上の組織若しくは団体」に対する公金の支出を禁止する89条である。


(2) 政教分離原則の形態

 信教の自由は、伝統的な人権として各国の憲法によって保障されているが、国家が宗教に対してどのような態度をとるかは、国により時代により異なる。

① イギリス型…国教制度を建前とし、国教以外の宗教について広汎な宗教的寛容を認め、実質的には宗教の自由を保障する。

② イタリア・ドイツ型…国家と宗教とは各々その固有の領域において独立であることを認め、教会は公法人として憲法上の地位を与えられ、その固有の領域については独自に処理し、競合事項に関しては和親条約 (コンコルダート)を締結し、これに基づいて処理する。

③ アメリカ合衆国・フランス・日本型…国家と宗教を分離する。


(3) 政教分離原則の法的性格

 政教分離原則の法的性格については争いがある。政教分離違反につき裁判所に救済を求められるかどうかに関連して問題となる。

① 制度的保障説(判例)

 政教分離原則は個人の主観的権利ではなく、その保障対象は制度それ自体であって、客観的な制度的保障である。

 この説によると、直接に個人の自由を侵害したといえる場合(20①前、20②)あるいは地方自治法242条の2(住民訴訟)にあたる場合でなければ、裁判所に救済を求めることができない。

② 人権説

 政教分離原則は、信教の自由の一内容をなす人権規定である。

 この説によると、政教分離違反は人権侵害なので、これを理由に裁判所に救済を求めることが可能である。

cf. 政教分離原則の法的性格については、制度的保障説、人権説、制度説が対立しているが、制度説は、実質的には制度的保障説とほぼ同様である。


(4) 政教分離原則の内容

① 特権付与の禁止(20条①後)

 「特権」とは、一切の優遇的地位・利益をいう。特定の宗教団体に特権を付与することが許されないのはもちろん、宗教団体すべてに対して他の団体から区別して特権を与えることも禁止される。

 ※ 宗教法人に対する法人税法・地方税法上の非課税措置は、民法上の公益法人や社会福祉法人をも対象にしているので、特権に含まれないと解するのが一般である。

cf. 他の公益法人と異なり宗教法人だけを非課税とするのは憲法に反する。

② 宗教団体の「政治上の権力」行使の禁止(20条①後)

 「政治上の権力」の意味については争いがあるが、通説は、立法権、課税権、裁判権など、国が独占すべき統治的権力をいうとする。

③ 宗教的活動の禁止(20条③)

(a) 『宗教教育』の意味

『宗教教育』とは、宗教的信仰を表現しその布教宣伝を目的とする教育をいう。

例1:大学における宗教学の講義は、学問の研究教育の一環として行われる限り、たとえ特定の教義に関するものであっても、20条3項で禁止される『宗教教育』にあたらない。

例2:国公立学佼において、宗教の社会生活上の意義を明らかにし、宗教的寛容を養うことを目的とする教育は、憲法上禁止されていない。

(b) 『宗教的活動』の意味

目的効果基準(後述)を採用する立場からは、『宗教的活動』とは、「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉などになるような行為」をいう。

例1:官公庁の玄関に正月用のしめ飾りを飾ることは、習俗性の強い行為である点で宗教的意義を有するとはいえず、『宗教的活動』にあたらない。

例2:特定の宗教科目を必須とする私立学校に対して補助金を支出することは、『宗教的活動』にあたらない。

例3:刑務所の所長が、死刑囚の懇請に基づき、教誨師に委嘱して宗教教育を行うことは許されるが、死刑囚の意思いかんにかかわらず特定の宗教教育を行うことは、『宗教的活動』にあたる。

cf. 3項の『宗教的活動』と、2項の『宗教上の行為』(1項の「信教の自由」と同義)の範囲は異なる。判例(津地鎮祭事件最高裁判決)は、「2項の宗教上の行為等は、必ずしもすべて3項の宗教的活動に含まれるという関係にあるものではなく、たとえ3項の宗教的活動に含まれないとされる宗教上の祝典、儀式、行事等であっても、宗教的信条に反するとしてこれに参加を拒否する者に対し国家が参加を強制すれば、右の者の信教の自由を侵害し、2項に違反する」と判示した。


(5) 公金支出の禁止

 89条前段は、国が、宗教上の組織・団体に財政的援助を行わないとすることによって、20条で定められた政教分離原則を財政面から裏付けている。公金支出が禁止される『宗教上の組織若しくは団体』とは、判例(箕面忠魂碑訴訟最高裁判決)によると、「宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体のすべてを意味するものではなく」、当該組織または団体に対して公金を支出することが「特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉」になり、政教分離原則に反するものをいう。すなわち、「特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体」を指す。

例1:都道府県が都道府県内の宗教法人の経営する幼稚園に対し、経営的経費を援助することは、89条前段に反しない。

例2:公立小学佼の教室において、クリスマス・ツリーの飾り物をするについて公費を支出することは、89条前段に反しない。

例3:国がある特定の宗教法人の所有する建造物を重要文化財に指定し、その管理・維持・修繕のために補助金を交付することは、89条前段に反しない。


(6) 政教分離の程度と目的効果基準

① 政教分離の程度

 政教分離は国家の宗教的中立を意味するが、政教分離の程度については争いがあり、諸説対立している。判例は、限定分離説をとる。

cf. 国家と宗教との結びつきを許容する限定分離説に対して、完全分離説は、国家と宗教は完全に分離され、国家は宗教に一切関与しえないとする。もっとも、習俗的行為は許されるので、宗教と習俗の区別基準が重要となる。また、限定分離説の中にも、ゆるやかな分離説(判例)と厳格な分離説(多数説)がある。




判例津地鎮祭事件(最大判S52.7.13)
三重県津市が市体育館の建設起工式を神式の地鎮祭として挙行し、それに公金を支出したことが、憲法20条3項に反するのではないかが争われた事件。
《争点》1. 憲法の政教分離原則の内容はどのようなものか?
2. 憲法20条3項の禁止する宗教活動とはどのようなものか?
3. 本件地鎮祭は禁止された宗教的活動か?
《判旨》(争点1)
政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教の分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。ところが、宗教は、極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常であって、国家が、諸施策を実施するにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れない。したがって、政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである。
(争点2)
憲法20条3項の宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう。
(争点3)
本件地鎮祭は、宗教とのかかわり合いをもつものであることは否定しえないが、その目的は、専ら世俗的なものと認められ、その効果は、神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらない。


② 目的効果基準

 一定の範囲での国家と宗教との結びつきは認められるとしても、次に、国家と宗教との結びつきがどの程度許されるかが問題となる。判例は、許されるものと許されないものとの区別基準として目的効果基準を採用する。目的効果基準は、(ア)行為の目的が宗教的意義をもち、(イ)その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為にあたるかどうかを区別基準とする。


(7) 政教分離違反が問題となった判例


判例愛媛玉串料訴訟(最大判H9.4.2)
愛媛県が、例大祭、慰霊大祭及びみたま祭りに際して、靖国神社及び県内の護国神社に玉串料等の名目で公金を支出したことが、憲法20条3項、89条に違反するのではないかが争われた事件。
《争点》1. 本件公金支出は憲法20条3項に違反するか?
2. 本件公金支出は憲法89条に違反するか?
《判旨》(争点1)
玉串料及び供物料は、宗教上の儀式が執り行われるに際して神前に供えられるものであり、献灯料は、これにより境内に奉納者の名前を記した灯明が掲げられるというものであって、いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなものであり、県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである。そして、一般に、神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して玉串料等を奉納することは、宗教的意義が希薄化し 慣習化した社会儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところであり、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない。県が、本件玉串料等を靖国神社又は護国神社に奉納したことは、その目的は宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖国神社等とのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たる。
(争点2)
「靖国神社及び護国神社は憲法89条にいう宗教上の組織又は団体に当たることが明らかであるところ、本件玉串料等を靖国神社又は護国神社に奉納したことによってもたらされる県と靖国神社等のかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解されるのであるから、本件支出は、同条の禁止する公金の支出に当たり、違法というべきである。
[補 足] 本判決は、憲法20条3項の禁止する宗教的活動の判定基準につき、津地鎮祭の目的効果基準を踏襲している。

《POINT》

1. 最高裁が、政教分離原則を用いてはじめて違憲判断を下した判決である。
2. 県による玉串料の支出は、 ア) 玉串料の奉納は、起工式の場合とは異なり、その宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものであるとは言うことができない、イ) 玉串料の奉納者も、それが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ない、ウ) 県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定できない、エ) 県が特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものであって、目的効果基準に照らして20条3項の禁止する『宗教的活動』に当たり、89 条の禁止する公金の支出に当たるものとして違法である。




判例箕面市忠魂碑訴訟(最判H5.2.16)
箕面市が、小学校の増改築のため、市遺族会所有の忠魂碑を他の市有地に移転・再建したところ、その費用の支出及び市有地の無償貸与が政教分離原則に反しないかが争われた事件。また、忠魂碑前で神式または仏式で行われた慰霊祭に、公務員である教育長が参列したことについても同様に争われた。
《争点》1. 本件忠魂碑移設・再建等の行為は憲法20条3項の『宗教的活動』にあたるか?
2. 日本遺族会及びその支部は、憲法20条1項後段の『宗教団体』、89条の『宗教上の組織及び団体』に該当するか?
3. 市の教育長の慰霊祭参列は、政教分離原則に反するか?
《判旨》(争点1)
忠魂碑は、戦没者記念碑的な性格のものであり、少なくとも戦後において特定の宗教との関係は希薄である。また、市遺族会は宗教的活動を本来の目的とする団体ではない。そして、忠魂碑の移設・再建等の行為は校舎の増改築のための方策としてなされている。これらの点に照らせば、行為の目的は敷地を学校用地として利用することを主眼とする専ら世俗的なものであるし、その効果も特定の宗教を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められず、『宗教的活動』に当たらない。
(争点2)
遺族会は市戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的としており、特定の宗教の信仰等を目的とする団体ではないから、遺族会は『宗教団体』、『宗教上の組織もしくは団体』に当たらない。
(争点3)
忠魂碑は戦没者記念碑的な性格のものであり、地区遺族会は宗教的活動を行うことを本来の目的とする団体ではなく、教育長の慰霊祭参列は公職にあるものの社会的儀礼として、戦没者やその遺族に対して弔意、哀悼の意を表する目的で行われている。よって、教育長の参列は社会的儀礼を尽くすという専ら世俗的なものであり、その効果も特定の宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為とは認められず、政教分離原則に違反しない。
[補 足] 本判決は、憲法20条3項の禁止する宗教的活動の判定基準につき、津地鎮祭の目的効果基準を踏襲している。

《POINT》

1. 市が忠魂碑の移設、再建をした行為及び忠魂碑を維持管理する地元の戦没者遺族会に対しその敷地として代替地を無償貸与した行為は、いずれも憲法20条3項により禁止される宗教的活動には当たらない。
2. 財団法人日本遺族会及びその支部は、憲法20条1項後段にいう「宗教団体」、憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しない。
3. 市の教育長が地元の戦没者遺族会が忠魂碑前で神式又は仏式で挙行した各慰霊祭に参列した行為は、政教分離原則及び89条に違反しない。




判例自衛官合祀訴訟(最大判S63.6.1)
殉職自衛官の夫を自己の信仰に反して山口県護国神社に合祀されたキリスト教徒の妻が、合祀を推進・申請した自衛隊山口地方連絡部(地連)と、山口県支部連合会(隊友会)の行為は政教分離原則に違反し、亡夫を自己の意思に反して祀られることのない自由(宗教的人格権)を侵害されたとして、損害賠償を請求した。
《争点》1. 本件推進・申請にかかる行為は憲法20条3項の『宗教的活動』にあたるか?
2. 私人のした宗教的行為によって信仰生活の静謐が害されたときに、法的利益の侵害があるといえるか?
《判旨》(争点1)
『宗教的活動』とは、目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいい、ある行為がこれに該当するかどうかは、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。すると、本件における地連職員の具体的行為は、宗教と関わりをもつものではあるが、『宗教的活動』には当たらない。
(争点2)
人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、または差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いことである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰を持つ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の元で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。

《POINT》

1. 自衛隊地方連絡部の行為は、宗教との関わり合いが間接的で、職員の宗教的意識も希薄であり、その行為の態様からして国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こし、あるいはこれを援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加える効果をもつと一般人から評価される行為とはいえず、20条3項にいう宗教的活動に当たらない。
2. 死去した配偶者の追慕、慰霊に関して私人がした宗教上の行為によって信仰生活の静謐が害されたとしても、それが信教の自由の侵害に当たり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を越える場合でない限り、法的利益が侵害されたとはいえない。