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1思想・良心の自由

堀川 寿和2021/11/30 14:10

 基本的人権といえども絶対的に自由というわけではなく、『公共の福祉』によって制約される場合があり、その制約がどこまで許されるのかが問題となることは、すでに学習してきたとおりである。ところが、思想・良心の自由は、内心の領域にとどまる限り『公共の福祉』による制約を受けず、絶対的に自由である。なぜなら、それは、内心の領域にとどまる限りは他人の人権と抵触することはないからである。しかし、人の内面の精神的活動は外部的行為と密接不可分であるから、外部的行為の規制を通じて内心の自由に対する侵害が問題になってくる。

思想・良心の自由の保障の意義

(1) 沿革と意義

 思想・良心の自由は、近代人権宣言の中心をなす権利の一つである。諸外国では、信教の自由や表現の自由と密接不可分なものとして扱われており、それらとは別に、特に思想・良心の自由を保障する例はあまりない。

 旧憲法には、思想・良心の自由をとくに保障する規定がなく、その当時、治安維持法の運用にみられるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった。そこで、日本国憲法は、「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない(19条)」と定め、思想・良心の自由を独立して保障した。


(2) 特色

 思想・良心の自由は、それが宗教的方面に向かえば「信教の自由」(20条)、論理的・体系的知識の方面に向かえば「学問の自由」(23条)、それを外部に伝達するときは「表現の自由」(21条)として表れる。このように、思想・良心の自由の保障規定は、精神的自由に関する諸規定の基礎法であり、精神的自由の源泉ともいうべき地位を有する。



思想・良心の自由の内容

(1) 保障の意味

① 「侵してはならない」の意味

 思想・良心の自由を「侵してはならない」とは、国民がいかなる思想をもとうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家から干渉されないことを意味する。思想・良心の自由の保障は絶対的保障であり、公共の福祉を理由とする制約は認められない。たとえ、憲法の根本原理である民主主義を否定する思想であっても、制約を加えることはできないと解するのが通説である。

cf. 「闘う民主制」…ドイツのボン基本法18条は、表現の自由等の人権を「自由で民主的な基本秩序に敵対するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する」と規定する。


② 保障の内容

 具体的には、次の3点を内容とする。

(a) 強制の禁止…ある思想及び良心をもつことを強制することは許されない。

(b) 不利益取扱いの禁止…ある思想及び良心を有すること、または有しないことを理由として、不利益を受けることはない。

(c) 沈黙の自由…自己の思想及び良心を告白することを強制されない。 →(3)参照


(2) 「思想及び良心」の意味

① 「思想」と「良心」の意味

「思想」と「良心」の意味については、とくに区別する必要がないとするのが判例・通説である。「思想及び良心」とは、世界観、人生観、主義、主張などの個人の人格的内面的精神作用を広く含むものと解されている。

※ 76条3項にいう裁判官の「良心」は、裁判官としての客観的良心、すなわち職業倫理を意味するものであり、19条の「良心」とは異なると解するのが通説である。


② 保障の範囲

 「思想」と「良心」を一括して捉えるとしても、その保障の範囲については争いがある。特に謝罪広告の合憲性と関連して問題となる。

(a) 広義説(内心説)

 思想・良心の自由は、人の内心におけるものの見方ないし考え方の自由であり、物事の是非弁別の判断を含む内心の自由一般を保障する。

 この見解は、謝罪広告の意思表示の基礎にある道徳的な反省や誠実さというような物事の是非弁別の判断までも「思想・良心」に含むので、謝罪広告の強制は、違憲という結論に結びつく。

cf. 謝罪広告強制事件最高裁判決において、藤田八郎裁判官の反対意見は広義説に立ち、良心の自由とは「単に事物に関する是非弁別の内心的自由のみならず、かかる是非弁別の判断に関する事項を外部に表現する自由並びに表現せざる自由をも包含するもの」であり、「人の本心に反して、事の是非善悪の判断を外部に表現せしめ、心にもない陳謝の念の発露を判決をもって命ずるがごとき」は19条に反するとした。

(b) 限定説(信条説)

 思想・良心の自由は、人の内心活動全てではなく、世界観、人生観、思想体系、政治的意見など人格形成活動に関連のある内心活動に限定される。単なる事実の知・不知に関する判断に、19条の保障は及ばない。

 この見解は、謝罪広告の意思表示の基礎にある道徳的な反省や誠実さというような物事の是非弁別の判断を「思想・良心」に含まない。したがって、謝罪広告の強制は、必ずしも思想・良心の自由を侵害するものではなく、合憲と解するのが一般である。

cf. 謝罪広告強制事件最高裁判決において、田中耕太郎裁判官の補足意見は限定説に立ち、19条の良心とは「宗教上の信仰に限らずひろく世界観や主義や思想や主張を」もつことであるが、「道徳的の反省とか誠実さ」を含まず、謝罪広告は19条とは無関係であるとした。

※ 単なる知・不知に関する判断について沈黙する自由は、19条によって保障されないとしても、21条の消極的表現の自由(表現しない自由、広義の沈黙の自由)や13条で保障される余地はある。この場合の保障は絶対的無制約ではなく、『公共の福祉』による制約を受ける。

※ 謝罪広告が常に19条に違反しないというわけではない。



判例謝罪広告強制事件(最判S31.7.4)
名誉段損の民事事件において、名誉を回復するのに適当な処分(民法723条)として新聞紙上に謝罪広告の掲載を命じられた者が、その違憲を主張して争った事件。
《争点》謝罪広告を新聞紙上に掲載するよう命じることは、憲法19条の保障する良心の自由を侵害するか?
《判旨》民法723条により「他人の名誉を毀損した者に対して被害者の名誉を回復するに適当な処分」として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものであれば、それを強制執行しても屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は、倫理的な意見、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられない。


(3) 沈黙の自由

① 沈黙の自由の意義

 思想・良心の自由には、自己の思想・良心の表明を強制されない自由、すなわち沈黙する自由が含まれる。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に訊ねることも許されない。

例: 踏絵、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査

※ 限定説によれば、必ずしも思想と関連しない単なる知識や事実の知不知には、原則として19条の保障は及ばないので、裁判において証人に自己の知っている事実について証言義務を課しても、19条違反とはならない。


② 思想・信条に関連する外部的行動に関する事実の開示

 思想・信条そのものではなく、例えば、特定の団体への加入や学生運動参加の事実の有無の開示を求めることは、思想・信条の自由違反の問題になりうるかが問題となる。三菱樹脂事件最高裁判決(最大判S48.12.12)は、次のように判示して、思想・信条に関連する外部的行動に関する事実の開示を求めることが、思想・信条の自由違反の問題となりうることを認めている。

 「労働者を雇い入れようとする企業者が、労働者に対し、その者の在学中における…団体加入や学生運動参加の事実の有無について申告を求めることは、…その者の従業員としての適格性の判断資料となるべき過去の行動に関する事実を知るためのものであつて、直接その思想、信条そのものの開示を求めるものではないが、さればといつて、その事実がその者の思想、信条と全く関係のないものであるとすることは相当でない。元来、人の思想、信条とその者の外部的行動との間には密接な関係があり、ことに本件において問題とされている学生運動への参加のごとき行動は、必ずしも常に特定の思想、信条に結びつくものとはいえないとしても、多くの場合、なんらかの思想、信条とのつながりをもつていることを否定することができないのである」


(4) 公務員の服務宣誓

 公務員に対して憲法尊重擁護の宣誓を課すこと(国公法97条)は、19条に反しない。

[理由]

公務員は憲法尊重擁護義務を負う(99条)以上、公務員に憲法の尊重・擁護を宣誓させることは、職務の性質上、本質的要請とされる。

cf. 国家公務員法97条に基づく職員の服務の宣誓に関する政令

「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、ならびに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」

※ 特定の憲法解釈を内容とする宣誓は19条に違反する。


19条違反が問われた判例

(1) ポストノーティス命令の合憲性


判例ポストノーティス命令事件(最判H2.3.6)
労働委員会から不当労働行為をした使用者に発せられるポストノーティス命令の内容が、謝罪広告を命じるものであることから、良心の自由を侵害するのではないかが争われた事件。
《争点》ポストノーティス命令は憲法19条に違反するか?
《判旨》ポストノーティス命令は、労働委員会によって不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させ、同種行為の再発を抑制しようとする趣旨のものであり、『深く陳謝する』等の文言は、同種行為を繰り返さない旨の約束文言を強調する意味を有するにすぎないものであるから、反省等の意思表明を要求することは、右命令の本旨とするところではないと解され、憲法19条違反の主張はその前提を欠く。


 (2) 内申書の記載内容と生徒の思想・信条の自由


判例麹町中学内申書事件(最判S63.7.15)
高校進学希望の生徒が、受験した高校をいずれも不合格になった後に、内申書に「麹町中全共闘を名乗り、機関誌『砦』を発行した」等記載されていたことを知ったため、高校不合格の原因はそのような思想・信条によって生徒を分類評定する内申書の記載にあるとして、国家賠償を求めた事件。
《争点》内申書に学生運動の履歴を記載することは、生徒の思想・良心の自由を侵害し、違憲か?
《判旨》いずれの記載も、思想、信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、右の記載に係る外部的行為によっては思想、信条を了知し得るものではないし、また、思想、信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することができないから、違憲の主張はその前提を欠く。


(3) 私企業における従業員採用に関しての思想調査と特定の思想を理由とした雇い入れ拒否


判例三菱樹脂事件 →Chapter2 基本的人権「憲法の私人間効力」参照
憲法の人権規定は私人間の法律関係について適用されるか?
《争点》憲法の人権規定は私人間の法律関係について適用されるか?
《判旨》憲法の人権規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整を図るという建前がとられている。個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条、不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存在するのである。


(4) 最高裁判所裁判官の国民審査

 国民審査制度の実質は、いわゆる解職の制度とみることができるので、白票を罷免を可としない票に数えても、思想・良心の自由に反しないとするのが判例である(最大判S38.9.5)。