- 刑法(総論)ー7.責任論
- 3.原因において自由な行為
- 原因において自由な行為
- Sec.1
1原因において自由な行為
■原因において自由な行為の意義
原因において自由な行為とは、行為者自身が責任能力を欠いた状態を利用して犯罪が行ったような場合である。例えば、飲酒すると暴力をふるう性癖がある者が、その状態を利用して日頃から気に入らない相手の前であえて飲酒し自らを酩酊状態に陥れて殴ってケガをさせた場合、刑法39条1項を適用すると、行為時に心神喪失状態であれば、処罰できないはずである。しかし、このような行為が処罰されないとすることは常識に反し不合理である。そこで、このような行為の可罰性を根拠づけるための理論が原因において自由な行為である。
判例 |
(最S43.2.27) |
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酒酔い運転の行為当時に飲酒酩酊により心神耗弱の状態にあったとしても、飲酒の際、酒酔運転の意思が認められる場合には、刑法39条2項を適用して刑の減軽をすべきではない。 |
⇒ 判例は、心神耗弱の場合においても、原因において自由な行為の理論を適用する。
■可罰性の理論構成
原因において自由な行為について、刑法39条1項を適用せず、完全な責任を問う結論に異論はないが、その根拠については、次のとおり考え方が分かれる。
(1) 間接正犯類似説
間接正犯と同様に考えることで、完全な責任を問う説である。原因において自由な行為を、心神喪失状態の自分を道具として利用する行為ととらえ、そのような状態を作り出す原因行為(飲酒行為)自体を現実的危険のある実行行為とみるのである。そうすると、結果行為(酩酊して暴力をふるう)の時点で責任能力がなくても、実行行為の時点では責任能力があるといえるため、刑法39条1項が適用されず処罰できると考える。
(2) 結果行為説(行為と責任の同時存在の原則を修正する説)
結果行為時が実行行為であるとした上で、原因行為時の意思決定が結果行為において実現している場合には、行為者に完全な責任を認めることができると考える。つまり、能力が存在する時の意思決定に基づいて具体的犯行がなされたのであれば、能力喪失時の具体的犯行を実行行為として処罰してよい。責任能力時の犯行意思がそのまま実現した場合は、意思の連続性を認め、完全な責任を認めるものである。責任非難は違法行為をなす意思決定に対して向けられるものなので、意思決定の時点で責任能力があれば責任を問うことができるとするのである。
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間接正犯類似説(原因行為説) |
結果行為説 |
理論 |
責任無能力の状態の自分を「道具」と して利用して犯罪を実行したものとして評価する考え。 |
責任非難は、違法な行為をなす最終的な「意思決定」に対して向けられており、その時点で責任能力があれば、実行行為を含む「行為全体」に対して責任を問うことができるとする考え。 |
実行行為 |
原因行為(具体的には精神障害を招く行為のことで、本事例では飲酒時を指す) |
結果行為(構成要件に該当する行為のことで、本事例では飲酒後の暴行時を指す) |
着手時期 |
原因行為の開始時 |
結果行為の開始時 |
批判 |
① 実行の着手時期が早すぎる。例えば、 責任無能力の状態で人を殺そうとして酒を飲み、飲み過ぎて寝てしまっても原因行為がなされている以上、殺人未遂が成立することになる。(*1) ② 限定責任能力の場合には、道具とは言えないのでこの理論を適用できない。(*2) |
① 責任能力と実行行為との同時存在を不要とするのは、責任主義と相容れない。 ② 行為概念が曖昧である。 |
(*1)原因行為自体に構成要件の定型性がなければ、実行行為性を認められないとする説もある。
(*2)つまり飲酒によって心神喪失の状態(責任無能力)の状態には至らず、心神耗弱の状態(限定責任能力)にとどまった場合には、刑法39条2項で必要的に刑が減軽されることになる。