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1憲法改正

堀川 寿和2021/12/01 13:47

憲法改正の手続

 「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」(96条1項)。また、「憲法改正について前[第96条第1]項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」(96条2項)。

 このように、憲法改正には、①国会(各議院の総議員の3分の2以上の賛成)による憲法改正案の発議(国民に対する提案)、②国民投票による承認という二段階の手続を要する。したがって、日本国憲法は、その改正には法律の改正(法律の制定に同じ)よりも厳重な手続を要する硬性憲法である。これに対して、法律の改正と同じ手続で改正することのできる憲法は軟性憲法と呼ばれる。諸外国の憲法には、どちらの例もある。


憲法改正の限界

 憲法所定の改正手続を履んだとして、改正に内容上の限界はないのであろうか。 日本国憲法はこの問題については直接何も触れることなく、ただ、前文で、民主主義原理は「人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と定めるのみである。そこで、a)限界説(憲法制定権力と憲法改正権力とを区別し、憲法制定権力が定めた根本原理(国民主権、平和主義、基本的人権の保障など)や憲法改正手続規定を憲法改正権力が改正することはできないとする説)と、b)無限界説との争いがあり、a)が通説である。

前文の法的性格

 ここで、憲法前文に法規範性はあるかという問題が生じる。あるとすれば裁判規範性は認められるのか。それぞれについて確認する。


(1) 法規範性

① 肯定説(通説)

 前文は憲法の一部をなし、本文と同じ法的性格を持つという説。これによると、前文の改変は、憲法改正手続によらなければならない。

[理由]

1. 前文は「日本国憲法」という題字の後に位置している。

2. 前文の内容は、憲法の由来・目的・原理について詳細に述べるものとなっている。

② 否定説

 前文は、本文と同じ法的性格を持つものではないという説。

[理由]

 前文は、単に憲法制定の由来を表明するにとどまるか、憲法の目的・制定者の決意・憲法の基本原理など、政治的・道徳的理念を抽象的に表示したにとどまる。


(2) 裁判規範性

 前文が、本文同様に法規範牲を有するとしても、裁判規範性を有するかどうかについては争いがある。平和的生存権の裁判規範性の肯否と関連して問題となる。

① 否定説(通説)

 前文を直接の根拠として裁判所に救済を求めることはできない。法律等の違憲性の主張は、直接には本文各条項に違反するとしてなされるべきであるという説。

[理由]

1. 前文の内容は、国民主権・基本的人権・平和主義など、抽象的な原理ないし理念であって、具体性を欠いている。

2. すべての法規が直接裁判規範であるとは限らない。憲法はその性質上、統治組織に関する規定のような裁判規範でない規定を含んでいる。

3. 本文各条項が充足的に各種の人権を保障しており、前文を直接適用する必要がない。本文各条項の意味内容が問題となったときにのみ、前文が解釈指針として用いられる。

4. 本文各条項に欠缺がある場合に、前文が直接適用されることは理論的にはありうるが、本文各条項に欠缺があるとは考えられない。

 【(北海道夕張町に航空自衛隊の基地を建設するため、農林大臣が国有保安林の指定を解除した事件において)憲法前文に掲げる理念としての平和の内容については、これを具体的かつ特定的に規定しているのではなく、崇高な理念ないし目的としての概念にとどまることが明らかであって、前文中に定める『平和のうちに生存する権利』も裁判規範として、なんら現実的、個別的内容をもつものとして具体化されていない】(長沼事件第二審判決・札幌高判S51.8.5)

 【平和的生存権は、あらゆる基本的人権の根底に存在する最も基礎的な条件であるが、平和的生存権を持って、個々の国民が国に対して戦争や戦争準備行為の中止等の具体的措置を請求しうるそれ自体独立の権利であるとか、具体的訴訟における違法性の判断基準になりうるものと解することは許されず、それは、ただ、政治の面において平和理念の尊重が要請されることを意味するにとどまる】(百里基地訴訟第二審判決・東京高判S56.7.7)

② 肯定説=否定説に対する批判

[理由]

1. 前文の内容の抽象性と本文各条項の抽象性の差は相対的なものにすぎない。よって、このことから、前文の裁判規範性を否定することはできない。

2. 憲法には確かに裁判規範でないものが多いが、そのことだけで前文の裁判規範性を否定できない。

3. 憲法に欠缺ある場合に前文が直接適用されると解するならば、前文の裁判規範性を否定できない。