• 憲法―2.基本的人権総論
  • 5.人権の保障と限界
  • 人権の保障と限界
  • Sec.1

1人権の保障と限界

堀川 寿和2021/11/30 09:53

 憲法において、人権は「侵すことのできない永久の権利(97条)」として絶対的に保障され、憲法改正によっても侵されることのない権利であるとされる。一方、憲法は同時に、人権には『公共の福祉』による制約が存在することを一般的に定め(12条、13条等)、また、経済的自由権については公共の福祉による制約を特に定めている(22条、29条)。

 これは、人権が永久不可侵のものであるとしても絶対無制約ということではなく、個人同士や個人と社会との関係において人権も制約を受けることを意味している。

 もっとも、『公共の福祉』という一言でもって、簡単に個人の人権が制約されてしまうのでは憲法の根本原理である『個人の尊厳(尊重)』が骨抜きになってしまう。そこで、公共の福祉という言葉の意味内容を明確にし、いかなる場合にいかなる程度の制約が許されるのかを決定しなくてはならない。

 本節では、まず『公共の福祉』の概念を明らかにすべく検討を加え、特に重要である『合憲性判定基準』に関する議論を整理する。


公共の福祉とは

(1) 公共の福祉の意義

 旧憲法における人権保障は、通常『法律の留保』を伴っていた。これに対して、日本国憲法は12条で、国民は人権を常に公共の福祉のために利用する責任を負うこと、13条で、人権は公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすることを規定し、人権一般に公共の福祉による制約が存する旨を定めている。また、個別の人権規定である22条、29条では、特に明文で公共の福祉による制約が規定されている。


(2) 諸学説の内容

 『公共の福祉』が基本的人権に対して具体的にどのような性質を持つのかについては争いがある。

① 一元的外在制約説(初期の判例・通説)

 『公共の福祉』は人権の外にあって、人権を制約する一般的な原理である。全ての基本的人権は、最高概念である『公共の福祉』によって制約される。



[批判]

1. 22条、29条は特別の意味を持たないことになる。

2. 『公共の福祉』を最高概念として捉えているので、法律による人権制約が容易に肯定され、結局、旧憲法における『法律の留保』のついた人権保障と同じことになってしまう。


② 内在・外在二元制約説

 『公共の福祉』によって人権が制約されるのは、特に個別の人権規定で、『公共の福祉』による制約を認めている経済的自由権(22条、29条)に限られる。12条、13条の公共の福祉は、国民及び国家の気構えを規定した倫理的・訓示的規定で、人権制約の根拠とはなりえない。よって、経済的自由権以外の人権の制約は、『公共の福祉』によるものではなく、人権に性質上当然に伴う内在的制約による。



[批判]

1. 13条を倫理的・訓示的規定としてしまうと、それを『新しい人権』の根拠となる包括的基本権規定としえなくなる。

2. 『公共の福祉』という概念を、国家の政策的考慮に基づき公益のために外から加える制約という意味に限定して考える事が妥当か疑問。


(3) 一元的内在制約説(現在の通説)

 『公共の福祉』は、人権相互の矛盾衝突を調整する実質的公平の原理で、全ての人権に必然的に内在する。『公共の福祉』には、自由権を公平に保障するために加えられる必要最小限度の制約(自由国家的公共の福祉)と、社会権を実質的に保障するために経済的自由権に加える必要な限度の制約(社会国家的公共の福祉)が含まれる。



[批判]

 「必要最小限度」ないし「必要な限度」の制約とはいかなるものなのかが不明確で、人権を制約する立法の合憲性を判定する基準としては抽象的に過ぎる。

cf. 『公共の福祉』の歴史

 初期の最高裁判例は、チャタレー事件判決などにおいて、公共の福祉の具体的内容を明らかにすることなく、12条、13条の『公共の福祉』を根拠に、人権を制約する法律の規定を簡単に合憲と判断していた(一元的外在制約説)。学説でも、一元的外在制約説が通説だったが、これを批判する見解として内在・外在二元制約説が主張された。このような状況の下で一元的内在制約説が登場し、現在の通説となっている。


合憲性判定基準

 人権には、『公共の福祉』による制限が認められるが、どのような人権がどのような場合にどの程度まで制限されるのかを判断する基準としては『公共の福祉』は明確性を欠くため、これのみでは具体的な事件を解決する基準とはならない。そこで、『公共の福祉』の内容を具体的に明らかにするための理論が必要となってくる。これが、合憲性判定基準に関する議論である。



(1) 比較衡量論

 比較衡量論とは、全ての人権について、それを制限することによってもたらされる利益と、それを制限しないことによって維持される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができるとするものである。

 最高裁は、昭和40年代になってから、それまでの抽象的な公共の福祉論から比較衡量論の立場に移行し、その後多くの判例で用いられている。

例: よど号ハイジャック記事抹消事件(前掲)、全逓東京中郵事件(最大判S41.10.26)、博多駅テレビフィルム提出命令事件(最大判S44.11.26)、薬事法距離制限規定違憲事件(最大判S50.4.30)、森林法違憲事件(最大判S62.4.22)など。



(2) 立法事実論

 『立法事実』とは、法律の立法目的及び立法目的を達成する手段の合理性を裏付ける社会的・経済的・文化的な一般的事実である。法律が合憲であるためには、その法律の背後にあって、それを支えている立法事実の存在と、その妥当性が認められなければならない。それには、当該法律の制定時の社会的事実のみならず、裁判時においても、当該法律の正当性を支持しうる事実を検討する必要がある。



 立法事実の判断は、全ての実体的合憲性判定基準による判断に妥当するものである。立法事実を検証しないまま、ただ憲法と法律の条文だけを概念的に比較して違憲か合憲かを判断する方法は、実体に適しない形式的・観念的な判決を導く可能性がある。この点で、薬事法距離制限規定違憲事件判決は、立法事実を踏まえた判断を行ったものとして注目された。


(3) 二重の基準論

① 二重の基準論の内容

 二重の基準論とは、精神的自由権は経済的自由権に比べて優越的地位を占めるとして、人権を制約する立法の合憲性を判定するにあたって精神的自由権と経済的自由権を区別し、前者を制約する立法の合憲性は、後者を制約する立法の合憲性よりも、厳格な基準によって審査されなければならないとする理論である。



[理由]

1. 自己実現の価値:精神的自由は、個人の人格の形成と展開にとって必要不可欠である。

2. 自己統治の価値:表現の自由を中心とする精神的自由を不当に規制する立法がなされると、民主的な政治過程そのものが害され、もしくは破壊され、永久に人権侵害が除去されない状態が生ずるので、裁判所が積極的に介入して厳格に審査することが要請される。これに対して、経済的自由を不当に規制する立法がなされても、民主政の過程が正常に機能している限り、それによって不当な規制を除去ないし是正することが可能であり、裁判所が積極的に介入するよりも立法府の裁量を尊重する必要が大きいので、緩やかな審査基準で足りるとするのである。




3. 裁判所の審査能力:経済的自由の規制は、社会・経済政策の問題と関係することが多く、その合憲性を判定するには政策的な判断を必要とするが、裁判所はそのような能力には乏しいといえ、立法府の裁量に委ねたほうが妥当な判断を期待できる。


[批判]

1. 精神的自由権でも経済的自由権でもない人権(例:生存権、労働基本権等)にどちらの基準を適用するのか。

2. 精神的自由権、経済的自由権それぞれについて、より厳しい審査が必要である場合とそうでない場合があるのではないか。

3. 同じ種類の人権であっても、それが具体的に置かれた問題状況の違いや権利の担い手によって異なった基準が適用されないか。


② 判例の立場

 学説は二重の基準論を支持しており、判例も経済的自由権に関しては二重の基準論の考え方を採用している。しかし、精神的自由権に関する最高裁判例は、二重の基準論が主張する厳格な合憲性判定基準を採用せず、目的と手段の合理的関連性が存すれば足りるとしたり、比較衡量論を採用したりして、統一的ではない。


③ 精神的自由権の制約に対する合憲性判定基準

(a) 文面判断

 法令の文言からその合憲性を判断しようとする形式的審査基準であり、立法事実の判断を伴わない。法令の文言が下記のいずれかに該当する場合は、表現の自由に萎縮的効果を及ぼすので、そのような法令は立法事実の判断をするまでもなく、文面上無効とされる。


i) 事前抑制禁止の理論

 思想表現行為がなされるに先立ち、公権力が当該思想表現行為を抑制すること、及び実質的にこれと同視できるような影響を思想表現行為に及ぼす規制方法は、原則として禁止される。

ii) 検閲の禁止

 『検閲』とは、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適切と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す」とされる(税関検査事件・最大判S59.12.12)。検閲は「絶対禁止」である。

iii) 明確性の原則(漠然性の故に無効の理論)

 人権規制立法の文言は明確でなければならず、あまりにも曖昧かつ漠然としている場合には、その法令は原則として無効になる。


cf. 判例は下記のいずれの場合にも明確性を欠いているとはいえないと判示した。

「交通秩序を維持すること」(徳島市公安条例事件・最大判S50.9.10)

「何人も、青少年に対し、淫行又はわいせつの行為をしてはならない」(福岡県青少年保護育成条例事件・最大判S60.10.23)

「著しく性的感情を刺激し、又は著しく残忍性を助長するため、青少年の健全な育成を阻害するおそれがある」(岐阜県青少年保護育成条例事件 最判H1.9.19)

iv) 過度に広汎な規制の故に無効の理論

法令の文言は一応明確でも、規制がその必要性を超えて過度に広汎である場合は、それ自体で無効である。


cf. 前掲福岡県青少年保護育成条例事件では、青少年に『淫行』した者に対して刑罰を科す条例の効力が争われたが、その際、『淫行』の意味が不明確であるばかりでなく、たとえ婚姻を前提とする真剣なものであっても青少年との性交渉を一律に処罰する点が、過度に広汎であるとの主張が被告人からなされた。これに対して最高裁は、条例の規定は「不当に広すぎるとも不明確ともいえ」ないと判示した。

(b) 実体判断

 立法事実の判断を伴う実質的な合憲性判定基準で、人権規制立法を、内容規制と内容中立規制(外形規制)とに大別し、それぞれ別個の合憲性判定基準により判断する。

i) 内容規制

 内容規制とは、表現行為について、それが伝達するメッセージそのものを理由に制限する規制をいう(例:煽動の禁止、猥褻・名誉毀損表現の規制)。内容規制は、表現の自由に対する影響が極めて重大であるから原則として許されず、例外として許される場合の合憲性判定にも厳格な基準が用いられる。

【明白かつ現在の危険の基準(Clear Present Danger)】

 精神的自由、特に表現の自由の内容が規制されることは原則として許されないが、例外的に以下の3要件を充たす場合に限って許される。CPDの基準と略称される。




1. 近い将来、実質的害悪を引き起こすことが明白(危険の蓋然性)
2. 実質的害悪が重大であり、発生が時間的に切迫(危険の重大性と切迫性)
3. 当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠(手段の必要性)

cf. 明白かつ現在の危険の基準は、下級審の裁判例で用いられた例はあるが、最高裁の判例では採用されていない。ただ、この基準の趣旨を取り入れた判例として「泉佐野市市民会館事件(最判H7.3.7)」がある。当該判決では、集会の自由に対する規制の必要性と合理性を判断する基準として比較衡量論によるが、その際に、明白かつ現在の危険が存在するか否かを利益衡量の要素として検討している。


【定義づけ衡量の基準】

定義づけ衡量の基準とは、猥褻概念や名誉毀損の概念を、それに対抗する社会的価値と衡量しながら厳格に絞って定義づけ、この定義に該当しない限り、性表現や名誉毀損的表現にも憲法の保障を及ぼしていこうという考え方である。



cf. 性表現の規制について最高裁は、「チャタレー事件判決(最大判S32.3.13)」において、刑法175条の猥褻文書とは、「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」と定義した。その後、「悪徳の栄え事件判決(最大判S44.10.15)」、「四畳半襖の下張事件判決(最大判S55.11.28)」においても、猥褻概念をさらに明確化しようと試みている。また、名誉毀損的表現についても、「夕刊和歌山時事事件判決(最大判S44.6.25)」において、表現の自由の確保という観点から、名誉毀損的表現の規制の限界を厳格に画定する解釈を打ち出している。


ii) 内容中立規制(外形規制)

内容中立規制とは、表現内容に対しては中立的な立場で、表現の時・所・方法などの「外形」を規制するものである(例:屋外広告物掲示の禁止、選挙運動の自由の制限)。内容中立規制は表現の内容に対しては中立的であるから、内容規制よりは厳格度の低い合憲性判定基準が妥当するものと考えられており、その典型例が以下の基準である。


【より制限的でない他の選びうる手段の基準(Less Restrictive Alternatives)】

表現の自由を規制する法令について、立法目的は正当であっても、規制手段について、立法目的を達成するためにより制限的でない他の選びうる手段を用いることが可能であると判断される場合には、当該規制立法を違憲とする基準である。LRAの基準と略称される。



cf. 内容中立規制の合憲性について、下級審の裁判例の中にはLRAの基準を採用したものが見られる(猿払事件一審判決、在宅投票制度廃止事件一審判決等)。しかし、最高裁は猿払事件判決(最大判S43.12.18)、戸別訪問禁止規定事件判決(最判S56.7.21)等において、LRAの基準ではなく、目的と手段との間に抽象的・観念的な関連性があればよいという合理的関連性の基準を適用している。合理的関連性の基準とは①規制目的の正当性、②規制手段と規制目的の合理的関連性、③規制によって得られる利益と失われる利益との均衡の検討により規制の合憲性を判断する基準である。表現の自由の規制に対する合憲性判定に、このような緩やかな基準を用いるべきではないという批判が大きい。


④ 経済的自由権の制約に対する合憲性判定基準

 経済的自由の規制については、立法府の判断を尊重すべきであるから、その合憲性は精神的自由の規制立法に適用される基準よりも緩やかな基準によって判断される。合憲か違憲かは、その規制が合理的かどうかという観点から判断されるが、これを合理性の基準という。

 合理性の基準は、合憲性推定の原則が前提となっている。合憲性推定の原則とは、立法目的及び立法目的達成手段の合理性を支える立法事実の存在が推定されることを意味する。従って、精神的自由の場合と異なり、原則として当該規制立法が違憲であることを主張する側に、この推定を覆す立証責任がある。

 合理性の基準は、経済的自由の規制目的の違いに応じて、さらに2つに分けられる。


(a) 消極目的による規制

 国民の生命及び健康に関する危険を防止するために課される規制。消極目的規制の合憲性は、厳格な合理性の基準によって判定される。

厳格な合理性の基準とは、人権の規制が重要な目的によるもので、かつその目的と立法目的達成手段との間に単なる合理的関連性にとどまらない実質的関連性(より制限的でない他の選びうる手段があるか)が認められる場合に限り、合憲であるとする基準である。

(b) 積極目的による規制

 社会的・経済的弱者の生存を保障するという積極的な政策目的のために課される規制。積極目的の合憲性は明白性の原則によって判定される。

 明白性の原則とは、立法府がその裁量を逸脱し、当該規制が著しく不合理であることが明白である場合に限って違憲とするものである。

 以上についての詳細はChapter5経済的自由権 で扱う。